私たちはふだん、物事は「どこかにあり」、その位置や状態は最初から決まっているものだと考えています。
机の上のコップは、机の上にある。
外を歩く人は、たしかにそこを歩いている。
「見ているから、そこにある」のではなく、「そこにあるから、見えている」。
これは、ほとんど疑うことのない前提です。
けれど20世紀の初め、この当たり前を根本から揺るがす実験が行われました。
量子力学史上、もっとも有名で、同時にもっとも不可解だと言われる
二重スリット実験(二つのすきまの実験)です。
すきまがひとつの時、世界は「定まって見える」
まず、金属板にひとつだけ細いすきま(スリット)をあけ、そこに電子のような極めて小さな粒子を打ち込みます。
すると、粒子はすきまを通ってまっすぐ進み、その先の壁に、一本の帯のような跡を残します。
「通れる道がひとつなら、そこを通る」。
これは私たちの直感とも一致する、極めて「普通」の結果で、何の不思議もありません。
すきまを二つにした途端、現れる「波」の性質
では、すきまを二つに増やしたらどうなるでしょうか。
普通に考えれば、粒は「左のすきま」か「右のすきま」、どちらか一方を通るはずです。
壁には二本の帯が重なって現れる。そう予想するのが自然です。
ところが、実験の結果はまったく異なるものでした。
壁に現れたのは、明るい部分と暗い部分が交互に並んだ、美しい「しま模様(干渉縞)」だったのです。
この模様は、水面の波や音の波が重なり合ったときにだけ現れる現象です。
つまり、一粒ずつ放たれたはずの量子が、まるで波のように広がり、二つのすきまを同時に通り抜けて重なり合った。そう考えなければ、絶対に説明のつかない結果でした。
「どちらを通ったか」を確認しようとした瞬間に
当然、次の疑問が生まれます。
粒であるはずのものが、どうして二つのすきまを同時に通れるのか。
実際には、どちらを通っているのか。
それを確かめるために、研究者たちはすきまのそばに観測装置を置きました。
「どちらを通ったか」、その瞬間を確認しようとしたのです。
すると、信じがたいことが起こります。
「どちらかを通った」ことを確認した途端、あの縞模様は消え去り、壁にはただの二本の帯だけが残されたのです。
観測していないときは「波」のようにふるまい、観測した瞬間に「粒」として現れる。
同じ装置、同じ粒子。
変わったのは、
確かめようとしたかどうかだけでした。
意識ではなく、「相互作用」が起きた
ここで、よく誤解される表現があります。
「人間の意識が、現実を変えた」という解釈です。
しかし、量子力学が示しているのは、もっと冷静で、厳密な物理現象です。
「見る(観測する)」という行為は、必ず対象と相互作用を起こします。
光を当てる。
装置を近づける。
情報を引き出そうとする。
その瞬間、波のように広がっていた可能性は壊れ、ひとつの結果として確定します。
意識が世界を動かしたのではなく、確かめようとした行為そのものが、世界に干渉した。
それが、この実験の示していることです。
「決まっていなかった」という可能性に立つ
二重スリット実験が私たちに突きつけたのは、非常に重い問いでした。
観測されるまで、どちらを通ったかは決まっていなかったのではないか?
あらかじめ用意されていた答えを「見つけた」のではありません。「確かめようとした瞬間」に、初めて答えがこの世界に確定した。
この考え方は、「この世界は、最初からきっちり決まっている」という感覚を静かに揺さぶります。
世界は、思ったよりも「あいまい」かもしれない
二重スリット実験は、明快な答えを与えるというより、深い問いを私たちに残します。
- 見ていない間、世界はどうなっているのか?
- 「決まっていない」という状態が、この世界の本当の姿なのか?
これらは、私たちが何を「現実」だと信じているのかを問う、大人にこそ必要な思索の入り口です。
「すべては決まっている」という思い込みから自由になったとき、あなたの目に映る世界は、少しだけ違った色に見えてくるかもしれません。

