私たちのまわりには、
たくさんの「もの」があります。
机、いす、スマートフォン、
そして、私たちの体。
どれも
「ここにある」と
はっきり分かるものです。
でも、
こんなことを考えたことはありませんか?
ものは、どこまで小さくできるんだろう?
小さくして見てみる、という考え方
たとえば、
レゴブロックを思い浮かべてみてください。
ひとつの作品は、
たくさんのブロックが集まって
できています。
その作品を、
少しずつ、ばらしていくと、
- 大きなかたまり
- 小さなパーツ
- ひとつひとつのブロック
というように、
分けてみることができます。
この世界も、同じように、
「もっと小さくして見てみたら、どうなるんだろう…」
と考えた人がいました。
見えている形が、すべてじゃない
私たちが見ている「もの」も、
じつは、
そのままの形で存在しているわけではありません。
とても、とても小さな単位が、
集まってできています。
たとえば、
- 水は、水のまま存在しているのではなく
- とても小さな単位が集まって
- 私たちには「水」として見えている
という考え方です。
このように、
「見えるものは、小さなものの集まり」
という世界を見る考え方は、
昔からありました。
どこまで小さくできるの?
では、
その「小さな単位」は、
どこまで小さくできるのでしょうか。
見た目では、
- これ以上、小さくできなさそう
- もう分けられない気がする
そう感じる人も多いと思います。
人は、長いあいだ、
「これ以上は分けられない」
と思えるところで、
立ち止まってきました。
でも、
本当にそうなのでしょうか。
見えなくなるだけかもしれない
ここで、
ひとつ大切なことがあります。
それは、
見えなくなった=無くなった
ではない
ということです。
小さくしすぎると、
- 目では見えない
- さわることもできない
- 形も分からない
そんな状態になります。
けれど、
見えなくなったからといって、
無くなったとは限りません。
ただ、
私たちの感覚では
とらえられなくなっただけ(認識できなくなっただけ)
なのかもしれません。
この先に、知らない世界がある
ものを
どんどん小さくしていくと、
- 目に見える世界
- 目には見えないけれど、存在している世界
その境目に、
私たちは立つことになります。
そして、
その先には、
ふだんの感覚では
想像しにくい世界
が、広がっているかもしれません。
次は、原子よりも小さい世界へ
ここまでで、
- 世界は、もっと小さくして見てみることができること
- 見えなくなっても、無いとは言えないこと
が、
少し見えてきました。
次は、
学校でも名前を聞いたことがある、
「原子」
よりも、
さらに小さい世界をのぞいてみます。

