当たり前すぎて、考えないこと
私たちはふだん、
ものが「ある」ということについて、
なんであるんだろう…なんてことを
考えたりすることは、ほとんどありませんよね。
机が(そこに)ある。
スマートフォンが(手の中に)ある。
自分の体が、(ここに)ある。
あまりに当たり前すぎて、
「なんで、ここにあるの?」
と考えることは、あまりありません。
困らないからです。
見えて、触れて、使えている。
それで日常は、ちゃんと回っています。
私たちが前提にしている見方
だから私たちは、意識しないまま
こんな前提で世界を見ています。
- ものは、はっきり存在している
- 原因があれば、結果がある
- 同じ条件なら、だいたい同じことが起きる
これは「考え方」というより、
生活の土台になる当たり前です。
当たり前が揺らいだ場面
ところが、
原子よりも、さらに小さな世界を調べようとしたとき、
この当たり前が、少しずつ揺らぎ始めました。
ここで大切なのは、これです。
私たちの考え方が間違っていたからでも、
世界が急に不思議になったからでもありません。
ただ、
あまりにも小さすぎて、
いつもと同じ確かめ方ができなかった。
それだけのことでした。
原子よりも小さな世界を
くわしく調べていくと、
この「当たり前の見方」が
うまく当てはまらない場面が
いくつも出てきます。
たとえば、
- 同じ条件なのに、結果が少しずつ違う
- 見ようとすると、様子が変わる
- どこにあるのを、はっきり決められない
こうしたことが、
たまたまではなく、
くり返しの実験で確かめられていきました。
そこで人は、こう考えます。
「実験で確かめられたこと」を
そのまま受け取るには、
別の見方が必要なのかもしれない。
それが、
量子という世界への入り口でした。
ちがうルールがあるかもしれない
量子の世界を調べる中で、
人は、こんなふうに考えるようになります。
もしかすると、
- 世界は最初から、きっちり決まっていないのかもしれない
- 結果は、ひとつに決まらないこともあるのかもしれない
- 見るという行為そのものが、影響しているのかもしれない
これは観測——
つまり、確かめた結果から生まれた推測です。
さらに量子の世界では、
「こうなっています」と
はっきり言い切れないことが、まだたくさんあります。
それは、
この分野が、今も研究され続けているからです。
次回は量子は魔法ではなく、
自然のルールであるということを、
もう少しだけ見てみましょう。

