前の記事では、イングランドの学校教育で使われている “spiritual development” について見てきました。
そこで扱われていたのは、
自分は何を大切にしているのか。
人生をどう捉えるのか。
他者や世界と、どう関わっていくのか。
自分の経験から、何を感じ、何を考えるのか。
といった、簡単には答えの出ない問いでした。
ここまで調べてきて、ひとつ気になることがあります。
私たちは何かを判断するとき、
「それは、科学的に証明されているの?」
という言葉をよく使います。
もちろん、それはとても大切な視点だと思います。
でも、
科学で証明されていることだけが、真実なのでしょうか。
今回は、そこを少し考えてみたいと思います。
そもそも、「科学で証明する」とは?
まず、少しだけ言葉を整理してみます。
私たちは普段、
「科学で証明された」
という言い方をよくします。
でも、科学では、数学の答えのように、一度証明したら永遠に変わらない、という考え方をするわけではないようです。
観測する。
実験する。
仮説を立てる。
結果を確かめる。
別の人が同じように実験しても、同じ結果になるのかを確かめる。
こうしたことを繰り返しながら、
「今ある証拠から考えると、これが最も確からしい」
という結論を積み重ねていきます。
そして、新しい証拠が見つかれば、それまでの考え方が修正されることもあります。
つまり、科学は、
わからないことを、できるだけ確かな方法で確かめていく方法
と考えると、わかりやすいのかもしれません。
科学が、とても力を発揮する問い
たとえば、
「この薬には、本当に効果があるのか」
「この物質は、体の中でどのように働くのか」
「光は、どのような性質を持っているのか」
「この現象は、同じ条件で繰り返し起こるのか」
こうした問いには、科学がとても力を発揮します。
測ったり、比べたり、実験したりすることができるからです。
だからこそ、このサイトでも、量子力学や波、周波数、体について、
科学では、どこまでわかっているのだろう
ということを大切にしてきました。
でも、私たちが人生の中で向き合う問いは、それだけではないですよね。
科学では、ひとつの答えを出せない問いもある
たとえば、
「私は、どう生きたいのだろう」
という問いがあります。
これを、実験で決めることはできません。
「何を大切にしたいのか」
「幸せとは何なのか」
「この人を愛しているのか」
「美しいとは、どういうことなのか」
「人生に、どんな意味を感じるのか」
こうした問いにも、科学によってわかることはあります。
脳の働きを調べたり、人の心理を研究したり、幸福について統計を取ったりすることはできます。
でも、
「では、あなたはどう生きるべきです」
という答えそのものを、科学が決めてくれるわけではありません。
「科学で証明されていない」と「間違っている」は同じではない
「科学で証明されていない」
ということと、
「間違っている」
ということは、同じではないですよね。
たとえば、
「私は、この音楽を聴くと心が落ち着く」
という人がいたとします。
その人が本当にそう感じたのなら、その体験まで「科学的に証明されていないから間違い」とする必要はなく、
その人が感じたことは、その人の経験だから、そうなんですよ。
ただし、
「この音楽には特殊な周波数があり、それによって病気が治る」
となれば、話は変わります。
これは、身体に具体的な作用が起こるという主張です。
病気が治るかどうかは、実際に調べることができます。
つまり、
個人が何を感じたのか
と、
自然や身体について、何が事実なのか
は、同じようには扱えないということです。
科学でまだ確かめられていないことの中には、今後わかってくるものもあるかもしれません。
だからこそ、今の時点でわからないことを、無理に「正しい」「間違っている」のどちらかに決める必要はないのだと思います。
「今はまだ、わからない」
そういう答えがあってもいいのではないでしょうか。
spiritualityについて考えるときにも、同じことが言える
ここで、前の記事まで見てきた spirituality に戻ってみます。
人生の意味。
自分が何を大切にしたいのか。
人とのつながり。
世界とのつながり。
心の中で感じること。
こうしたものについて考えることは、科学と対立することではないですよね。
そもそも、すべてが科学によって答えを出す種類の問いではないからです。
一方で、spirituality について語る中で、
「このエネルギーは測定できます」
「この波動によって身体が変化します」
「量子力学によって証明されています」
というように、自然現象や身体について具体的な説明をするのであれば、その部分については科学的に確かめることができます。
大切なのは、「証明されているか」だけではない
ここまで考えてみると、
「科学で証明されているか、されていないか」だけで、すべてを判断することはできない
と思います。
身体や自然についてのことは、科学的な確認はもちろん大切だと思います。
ただ、今の時点で科学的に確認されていないからといって、それだけで「存在しない」「間違っている」と決めることもできません。
まだ十分に研究されていないのかもしれない。
研究の途中なのかもしれない。
今の技術では、まだ確かめることが難しいのかもしれない。
だからこそ、
今わかっていることと、まだわかっていないことを分けて考える。
その姿勢が大切なのだと思います。
まとめ:この記事でわかったこと
- 科学は、観測や実験を通して、世界で何が起きているのかを確かめる、とても強力な方法
- 一方で、人生の意味や価値観など、科学だけではひとつの答えを出せない問いもある
- 「科学で証明されていない」と「間違っている」は、同じではない
- 個人が感じたことと、自然や身体についての事実の主張は、同じようには扱えない
- 今の時点でわからないことを、無理に「正しい」「間違っている」のどちらかに決めなくてもいい
ここまで考えてみると、「科学で証明されているかどうか」だけで、すべてを判断することはできないのだと思います。
そして、「まだわからない」ということも、ひとつの答えかと。
では、なぜ私たちは、わからないものに出会うと「怪しい」と感じてしまうのでしょうか。
次の記事では、9章の最後として、わからないものを「怪しい」で終わらせずに考えることについて見ていきます。


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